公園
明了
今度は私の話を聞いてもらっても、いいですか?
直
明了の話……
彼の提案に、わたしは目を見張った。
直
明了のことも、教えてくれるの?
明了
ええ。少しも、自慢できる話はないのですが……
直
ううん、いいの。明了のことだったら、何でも知りたいわ。
明了
…………
わたしの言葉に、明了はちょっとはにかんで……それから、どこか懐かしそうに話を始めた。
明了
私は今でもまだまだ未熟ですが、昔はもっと……人の気持ちというものに鈍感でした。
明了
女性が相手の時は特に、です。例えば……小学生の時、こんなことがありました。
明了
ある女の子がいつもと髪型を変えて登校してきたのですが、男子の何人かが、こっそり『前の方が良かった』『似合ってないよな』と言っていたのです。
明了
それで、私はそういう陰口はよくない、可哀想だと……直接、その子に伝えてしまったのですよ。
直
わー……
明了
その女の子や、他の女子に怒られたのは言うまでもありません。
明了
それに、中学の頃にはこんなこともありました。
明了
私がその頃一番仲の良かった友達と休み時間に話していると、わざわざ隣のクラスからある女の子がやってきて、話に参加してくるのです。
明了
友達はサッカー部のキャプテンでかなりモテていましたから、きっとその子も彼のことが好きなんだろうと、私は彼女が来ると、気を利かせて席を外したりしていたのですが……
明了
……しばらくした後、その子と知り合いの女の子達から怒られたのは言うまでもありません。
直
それは……
思い出したのかしょんぼりしている明了は可哀想だったけど、わたしはその女の子にも同情してしまう。
直
その女の子は、明了に好意を持っていたのね。
明了
そうらしいです……。それなのに私がいつもどこかへ行ってしまうものだから、『私が嫌いだから避けてるんだ』と彼女に勘違いさせてしまったみたいで……
明了
そういうことがあってさすがに、『自分は女性の気持ちに疎いらしい』と自覚したのですよ。
明了
ですので、それからは女性に対して余計なことは言わないようにしたり、恋愛に関わるような話になると……冗談で誤魔化してしまうようになったのです。
直
…………
黙って話を聞くわたしをちらりと見て、彼はわずかに目を伏せた。
明了
けれど……高校生になってから、私にも好きな人ができました。
その呟きに、どきりとする。何となく予想はついた。
直
やっぱり、卯月さん……?
複雑な気持ちで問いかけたわたしに、明了は静かに頷く。
明了
とはいえ、今までのことがありましたから、自分から積極的に特別な好意を表すことはできませんでした。
明了
そもそも、学校内で顔を合わせた時に空手や部活の話をする程度でしたから、卯月さんは、私の気持ちなんて全然知らなかったでしょう。
明了
でも、もうちょっとでいいから仲良くなりたいな……と、そう思っていたある日でした。
明了
町中で、しつこいナンパをされ、強引に手を引かれている卯月さんを偶然見つけたのです。
明了
私はすぐに止めに入り、相手の男に注意しました。
明了
すると相手は『お前には関係ない』と怒り出し、私に掴みかかってきて……
明了
…………
明了
我に返った時には、私は相手に結構な怪我を負わせてしまっていました。
彼はぎゅっと拳を握って、双眸(そうぼう)に深い後悔を滲ませていた。
直
(明了……)
明了
卯月さんは言いました。助けてくれたことは嬉しいけれど、これはやり過ぎだ、と。
明了
ここまでする必要は本当にあったの?と……
明了
彼女の言う通りでした。私はそう言われてやっと気付いたのです。
明了
彼女が絡まれているのを見た時、純粋に助けたいという思いだけでなく、卯月さんにいいところを見せたい、という下心があったのではないか。
明了
相手の男も、なるべく喧嘩にならないように説得すべきだったのに、自分の強さを誇示しようとして、喧嘩になることを期待したり、過剰な攻撃を加えてしまったのではないか。
明了
……幸い、相手に後遺症が残るようなことはなく、周りからも正当防衛だったとは言ってもらえたのですが……
明了
それでも私は、本当に自分が恥ずかしくて、情けなくてたまりませんでした。
明了
得度(とくど)という、僧侶になる儀式は小学生のうちに済ませていましたから、自分は将来お坊さんになるんだ、悩める人を救えるような僧侶になりたいと、ずっと考えていたというのに。
明了
ずっと学んでいた空手でも、『この技術は人をむやみに傷付けるためにあるのではない』と、『空手を通して自らを鍛え、争いが起こらないよう務めるべきだ』と教えられていたというのに……。
明了
……一度は、私に僧侶など務まるはずがない、空手を学ぶ資格などない、とも考えました。
明了
しかし、考えるうちに、違う、と思い始めたのです。
明了
僧侶を目指していたことが悪かったわけではない。空手を学んだことが悪かったわけではない。
明了
本当に人を救うとはどういうことか、武術を身につけるとはどういうことか、その意味を深く理解しないまま、漫然と過ごしていた自分が、全ての原因だったのです。
直
…………
直
……それで、明了はどうしたの?
尋ねると、明了は少し表情を和らげて、夜空を見上げる。
明了
父の元へ行き、改めて、この寺を継ぎたいと伝えました。
明了
実は、父に『僧侶になれ』とか、『お前が次の住職だ』とは、一度も言われたことがなかったのですよ。
明了
私は僧侶になることに抵抗がなかったので、『自分が継ぐのが当たり前だ』と思っていましたが、父は常日頃、『お前に継いでもらわなくてもいい。本山から住職を招くこともできる』と言っていたのです。
明了
ですがその時は、何も聞かず……
明了
わかった、頑張れ、と答えてくれました。
明了
きっと、寺の息子として生まれたから、何となく寺を継ぐ……そういう甘い考えを許さず、私が本気の覚悟を持っているか、父は見極めていたのでしょうね……
ゆっくり瞬きをして、彼がわたしの方へ視線を戻す。
初めて明了と会った日に、とても綺麗な目をした人だけど、その奥に、感じ取れない何かが隠されているように思った。
でも、今は違う。
壁も覆いも取り払って、本音のまま、わたしに接してくれているのが、言葉じゃなく伝わってきた。
明了
空手は今でも、続けていますよ。直も知っている通り。
直
……いつまで経っても、稽古してる時の明了には慣れないわ。
明了
あはは。
明るく笑って、彼は照れくさそうに首の後ろへ手を当てる。
明了
……この話をしたのは、直が初めてです。
明了
失敗の経験のせいで、未熟な私ではまた誰かを傷付けてしまうのでは、間違ったことをしてしまうのではと、ずっとひとりで考えこんで、臆病になってしまっていたんでしょう。
明了
ですが、さっき直を助けようとした時の私は、余計な下心など、何もなかったような気がします。
明了
ちょっとくらいは、成長できているのかもしれませんね。
明了
……直、つまらない昔話を聞いてくださって、ありがとうございました。
直
……ううん。
直
こちらこそ……助けてくれて、話を聞かせてくれて、本当にありがとう。
どこかすっきりした様子の明了にわたしも嬉しくなって、笑顔を返した。
直
だけど……
明了
ん?
直
やっぱり、明了の恋の話なんて聞くと、妬いちゃうわね。
明了
え……い、いやいや、ただみっともなく失恋した話ですから。
明了
卯月さんが来られた時も、どういう顔をしていいかわからなくて……
明了
………………
言葉の途中で、彼はピタッと動きを止めた。
みるみるうちに、明了が青くなっていく。
明了
……あっ。あああ……!
明了
卯月さんを待たせたままでした……!
・
・
・
明了
本当に申し訳ありません……!
直
ごめんなさい、私のせいで。
驚いたことに、卯月さんはまだ浄恋寺で待ってくれていた。
土下座せんばかりの明了の横でわたしも頭を下げるけれど、彼女は気を悪くした様子もなく首を振る。
まどか
いいのよ。ちょうど読みかけの小説がバッグに入ってたし。お寺って落ち着いて読書するのに向いてるわね。
明了
は……いえ、本当に……
まどか
私がいいって言ってるんだから、その話はおしまい。それより、私がここに来た用件なんだけど……
まどか
今日はね、縁談を断りに来たのよ。
直
えっ……
明了
断りに……?
きょとんとする明了とわたしを交互に見つめ、彼女は優美に微笑んだ。
まどか
見合いがなんだって話も、うちの母が勝手に言ってただけでね。私、まだ結婚するつもりないから。
まどか
第一……私、他に好きな人がいるの。
明了
……そ……
明了
そうなんですか。ええ、そうですよね。いやあ、それはそれは……
直
(……明了ってば、ショック受けた顔しちゃって)
切なくなってしまうのは仕方ないのかもしれない。
でも、卯月さんはそれ以上詳しいことは言わず、すぐに立ち上がった。
まどか
お騒がせしちゃって、ごめんなさいね。じゃあ、話はそれだけだから。
まどか
あ、見送りは大丈夫よ。色々大変だったんでしょう。ゆっくり休んで。
腰を浮かせかけたわたし達を制し、彼女は毅然とした足取りで客間から出ていく。
直
(…………)
・
・
・
気付けばわたしも立ち上がって、卯月さんを追っていた。
玄関へ辿りつき、戸を開けようとしていた彼女へ声をかける。
直
あの……卯月さん。
まどか
……何かしら?
直
他に好きな人がいるって、本当?
彼女は短い沈黙を挟んで、わたしを眺めていた。
それから、大人びた優しい眼差しで答えてくれる。
まどか
本当よ。
卯月さんは端的に告げると、軽く手を振って、今度こそ外へ出ていった。
だけどわたしは、その後ろ姿を見送りながら思う。
明了は、『彼女は私の気持ちに気付いていなかっただろう』と言った。
直
(でも、ほんの少し接しただけでも、すごく聡い人なんだなって感じたわ)
明了は、彼女との過去の話で、『失恋した』と言っていた。
直
(でも……あの話では、卯月さんは『やりすぎだ』って言っただけだったわ)
直
(間違っていると思ったことにきっぱり注意しただけで……)
直
(それがすぐに、『明了を嫌いになった』ということには繋がらないんじゃないかしら……?)
直
(…………)
直
(……あっ)
振り向いて、目を丸くする。
また玄関に飾っていた、わたしの嘘発見器。
『嘘』を表す赤いランプが、ピカピカと点滅していた。
・
・
・
……直が攫われそうになった事件から、10日ほどの後。
慶道
いやあ、直さんは本当に便利なものを作ってくださいましたよ。
明了
そうですね。しかし慶道さんにこんな才能があったとは……
彼女が改良してくれたパソコンをばりばり使いこなしている彼に感心しつつも、私は胸のうちに小さな寂しさを覚えていた。
慶道
直さんにはもっと色々教えて頂きたかったのですが……ここからは、独学で頑張るしかないですね。
明了
……ええ。
壁にかけてあるカレンダーに、ふと目をやる。
丸のついた日付――つまり今日は、直が日本を離れ、大学へ戻る日だった。
・
・
・
浄恋寺
直
明了。大学院を出たら、貴方のところへまた帰ってくるわ。
数時間ほど前、別れの挨拶に来てくれた直の言葉を思い出す。
直
この辺りの研究機関に打診してみたら、一緒に研究したいって言ってくれるところがいくつかあったの。
明了
……と、いうことは……
直
うん、わたし、決めたわ。研究は続けるって。どこにいても、いつでもね。
直
だって、やっぱりわたし、研究が好きなんだもの。
直
それに、自分が開発した技術で誰かが笑顔になってくれた時の嬉しさも、忘れられないわ。
直
脅しなんかに負けてこの生き甲斐を手放したくないし、悪用なんて絶対にさせない。
直
研究成果が悪用されることは、世界的にも問題になってて、それを管理しようと取り組んでる人達もいるの。
直
だから私も、そういう組織へ積極的に協力したりとか……諦めないで、色々対策してみるつもりよ。
直
それに……
直
もし悪い人達がわたしを狙ってきても、日本にいれば、明了が守ってくれるでしょう?
明了
……ええ。
私は迷いなく首肯する。
それなのに直は、不安げに眉を下げてしまった。
きっと……私がどう答えるか不安で、無理して明るく振舞っていたのだろう。
直
……本当に? いいの?
直
対策はしてみても、完璧に解決できる問題じゃないわ。
直
わたしが近くにいると、明了まで危険な目に遭うかもしれない……
明了
……いいえ。直が、そんなふうに思う必要はないのですよ。
明了
貴女が、脅しに屈したくない、大事なものを諦めたくないと思ったように、私だって悪人に怯えて、大事な友人を見捨てたりしたくありません。
直
……大事な『友人』。
明了
そ、そこに反応するのですか。
直
ん~……
直
……いいわ。大事って言ってくれたから、今はそれで我慢しておく。
さっきの憂いを消して、直は頬を緩めた。
晴れやかで、正直な表情。
そんな彼女に……私も誤魔化さず、自分の気持ちを伝えたいと思う。
明了
……直。
明了
貴女とまた会えるのを、本当に……心から楽しみにしていますよ。
・
・
・
浄恋寺
明了
あ……
今頃、彼女は雲の上だろう。
そう思って外へ出ると、青い空にはくっきりと飛行機雲が浮かんでいた。
――『うん、わたしも! わたしも明了に会えるのを、楽しみに頑張るから!』
『だから……待っててね!』
大きく手を振った直の笑顔が頭に浮かんで、自然と唇がほころんだ。
明了
(……いってらっしゃい、直)
明了
(そして、またあの笑顔で……ただいまを、言ってくださいね)